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映画「ブレードランナー2049」感想

  • 2017年、アメリ
  • 製作・総指揮:リドリー・スコット
  • 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
  • 主な出演:ライアン・ゴズリングハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークスロビン・ライトジャレッド・レト、デイヴ・パウティスタ、マッケンジー・デイヴィス、カーラ・ジュリ
  • 受賞歴:第90回(2017年)アカデミー賞…撮影賞・視覚効果賞、他

  • 予備知識~前作「ブレードランナー」(1982年)のあらすじ:
    2019年、人間は「レプリカント」と呼ばれる人造人間を奴隷のように使い、遠い恒星系まで開拓を進めていた。特に「ネクサス6」型は人間と比べ知能も体力も勝るシリーズだった。ただ一つ、安全装置として組み込まれた4年の寿命を除いては。
    ある日、4体のネクサス6が宇宙船内で反乱を起こし、人間達を惨殺して地球へ逃亡。ロサンゼルス市警の警官でありレプリカントの始末が専門の「ブレードランナー」であるデッカードは彼らを追う。事情聴取のためレプリカント製造元のタイレル社を訪れたデッカードは、そこでレイチェルという美しい女性と出会う。デッカードは彼女を心理検査し、彼女もまたネクサス6であることを知る。
    自分を人間だと信じ込んでいたレイチェルは、不安に駆られてデッカードのもとを訪れ、自分の記憶は社長タイレルの姪の記憶を移植したものであると教えられ、ショックで姿を消してしまう。
    逃亡犯のネクサス6達がデッカードの前に次々と現れる。彼の危機を救ったのはレイチェルであった。タイレル社から逃亡した形の彼女はデッカードのアパートに身を寄せることとなる。互いに芽生える愛。
    一方、逃亡中のネクサス6は一計を案じて直接タイレル社長のもとへ潜入し、寿命が延ばせないことを知り彼を殺す。
    彼らと対峙するデッカード。戦いはネクサス6側の一方的な有利に進み、デッカードは絶体絶命となるが、死期を悟ったネクサス6は彼を救い、機能停止=死亡する。
    同僚たちの手がレイチェルに迫るのを恐れたデッカードは急ぎ彼女と逃げようとするが、なぜか見逃されたことに気付く。二人はいずこかへと逃亡するのだった…。

  • ブレードランナー 2049」のあらすじ:
    その後、タイレル社はネクサス6の開発に関して世論の鋭い批判を浴び、倒産した。また、犯人は不明ながら核爆発が起き、それが発する電磁パルスにより引き起こされた10日間の「大停電」によって、あらゆるデジタルデータは消滅ないし破損していた。
    タイレル社を買収したウォレス社は、法律で製造を禁止されていたレプリカントを改良し、より高度で人間に従順な「ネクサス9」型を開発し、世界は再びレプリカントを使役するようになっていた。そして反抗心の強い旧モデル「ネクサス8」は「解任(抹殺)」される運命となった。
    ロサンゼルス市警のブレードランナーでありネクサス9のKは、とあるネクサス8を「解任」した際、彼の住居そばに立っていた枯木の下に隠されていた骨を発見する。調べると、それは出産の痕跡のある女のレプリカントの骨であった。レプリカントに繁殖能力があるというのは前代未聞の発見であり、Kの上司ジョシは、社会の混乱を防ぐため、この件に関する全ての情報を消去するよう彼に命令する。
    Kはウォレス社にかろうじて残っていたデータから、遺骨の主は逃亡して行方不明となっていたレイチェルと呼ばれるネクサス6であり、当時のブレードランナーデッカードと恋仲であったと知る。
    解任したネクサス8の住居を再び捜索したKは、木の根に「6-10-21」と彫られているのを見つける。その日付=2021年6月10日は、Kのあるはずのない「幼い頃の記憶」である木馬に刻まれていた数字と一致していた。DNA鑑定をすると、同一のDNAを持つ男女の子供が存在する、と判明した。そのあり得ない情報を元に、子供の最後の行き先と記録されていた孤児院に向かったKは、「記憶」と完全に一致する場所と木馬を見つけ、不安にかられる。
    Kは、レプリカントに模造記憶を作り与えるのが仕事のアナ・ステリン博士のもとを訪ね、「記憶」の真偽を鑑定してもらう。結果、それは植え付けられた誰かの記憶であった。自分は人間かもしれないという一縷の望みを抱いていたKは、感情を激しく爆発させる。
    一方、ウォレス社の社長ウォレスは、ロストテクノロジーであるレプリカントの繁殖能力を手に入れレプリカントをより多く製造するために、手下であるネクサス9のラヴに行動を命じる。ラヴは市警に侵入してレイチェルの遺骨を奪取したあげく、ジョシをも殺害する。
    時を前後すること少々、「レプリカントの出産に関する記録は消去した」とジョシに嘘の報告をしたKは、愛玩AIのジョイ(若い女性のホログラムとして現れる)と共に逃亡。木馬の材質を分析して知ったラスベガスへ飛んでいた。そこで彼は、養蜂を営みながら孤独に暮らしていたデッカードと出会う。彼は、産まれた子供とは会っておらず、子供はとある組織に安全にかくまってもらった、と告白する。そこへラヴの部隊が急襲し、デッカードは連行され、ジョイは破壊される。
    満身創痍のKを救ったのは、レプリカント解放運動を進める一味であった。彼らの話から、レイチェルとデッカードの間に産まれた女児は、自分に植え付けられた記憶の本来の持ち主であるアナ・ステリンであるとKは悟る。解放運動のリーダーは、自分たちの情報が漏れることのないようデッカードを殺して欲しい、とKに依頼する。
    一方で、デッカードを拉致したウォレスは、娘と会わせるのを条件に解放運動の一味の居場所を彼に問いただす。口を割らないデッカードをラヴは宇宙(オフワールド=地球外植民地)に移送することとする。その行程をKが襲撃する。死闘の果て、Kはラヴを倒し、デッカードを救う。
    デッカードをアナ・ステリンのいる研究所に案内し、雪の降り積もる中、自らの傷を見て死期を悟り、ゆっくりと地に横たわるK。そしてデッカードは、成長した我が娘と数十年ぶりの再会を果たすのだった…。

  • 感想:
    1982年に公開された「ブレードランナー」は、SFファンのみならず多くの映画ファンに衝撃を与えた。陰鬱な未来都市の光景、人間に憧れるレプリカント達、ハリソン・フォード演じる孤独な主人公デッカードの魅力、レイチェルとデッカードのその後はどうなったのか、等々…。奇才フィリップ=K=ディックの原作小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は一躍有名になり、映画とともに議論の的となった。今では「ブレードランナー」は歴史的傑作であると評価が定まっている。その35年ぶりの続編であり、製作・総指揮は前作の監督を務めたリドリー・スコット、監督はあのSF大作「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴということで、本作「ブレードランナー 2049」への期待は大きく、また不安も映画ファンの間で当初根強かった。
    結論から言うと、私にとっては満足のいく出来であった。(上映時間3時間弱は少々長いが。実際、映画館で観た時にいびきが聞こえた。)
    他人の記憶を植え付けられたからこそ生きるのに必死になる、ライアン・ゴズリング演じるKのストイックさとたまに見せる激情。そしてKが唯一心を許していた、アナ・デ・アルマス演じる愛玩AIのジョイの健気で可愛らしいことといったら。ラヴが送ったスパイの売春婦の身体にジョイが乗り移ってKを慰めるシーンはちっともエロティックでなく、むしろ哀しみさえ感じられた。人間もネクサスシリーズもAIのジョイも、生への渇望には変わりがないのである。
    彼らの生きる2049年のロサンゼルスは、前作よりは若干スマートなものの、相変わらず立体映像の広告が輝く雑然とした大都会。それと対照的に、ハリソン・フォード演じるデッカードが隠れ住んでいたラスベガスは、鬼才シド・ミードがデザインした美しくも先の見えない黄金色の砂漠。
    ひと目見て「老いたなぁ、ハリソン・フォード…」と嘆息したものの、彼のいない「ブレードランナー」もまた考えられない。
    拉致されたデッカードの口を割らせるために、ウォレスはレイチェルそっくりのレプリカントを用意するが、ここのシーンでは、俳優の顔面に前作の映像をCGで重ね、またレイチェルを当時演じたショーン・ヤングモーションキャプチャーに協力しているという。これらを聞くだけで、前作のファンである私はわくわくしてしまう。
    唯一「惜しいな」と感じたのは、ラヴの最期であった。市警に侵入して刑事とジョシを殺害し、Kとデッカードを襲い、ジョイの宿る装置を足で踏みつけにして破壊したほどの凶悪な敵役であったから、できれば溺死ではなくもっと酷い目に遭って死んで欲しかった。
    本作はデッカードが成長した娘に会えたところで終わるが、ウォレス社長は未だ健在であり、またKを「この人間もどきめ!」と罵倒していた人間達もまだ今後いるのだろう。そういった後に引く要素の解決も見たかった、とも思う。
    音楽も良かった。前作はヴァンゲリスの壮大なシンセサイザーの音楽であった。一聴して「本作もヴァンゲリスか?」と思いきや、別な人が担当していた。テイストが非常に似ていて、重低音が効いた良いBGMであった。
    調べると、本作の製作にあたって先行して3篇の短編映画が作られたらしい。劇場公開はされなかったようなので、前作との間を補完する内容だというこれらを、何とかして観てみたいものである。

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